解放軍文職招聘考試作文指導(dǎo)について(1) -日本と中國の指導(dǎo)の違い--解放軍文職人員招聘-軍隊(duì)文職考試-紅師教育

解放軍文職招聘考試作文指導(dǎo)について(1) -日本と中國の指導(dǎo)の違い-發(fā)布時(shí)間:2017-06-27 10:30:45今、私は黒龍江省に滯在して、高校生に日本語の會(huì)話や作文を指導(dǎo)しています。 ここで生徒が書いた作文をたくさん読んでいるうちに、日本の高校生が書く作文と中國の高校生が書く作文の間に大きな違いがあることに気がつきました。そこで、今回は「作文指導(dǎo)に見る日本と中國の違い」というテーマでお話したいと思います。中國の高校生の書く作文を読んでいると、生徒同士が相談しながら作文を書いたのではないかと思うほど、內(nèi)容も表現(xiàn)もよく似た作文がたくさんあることに気がつきます。例えば先週、「私が尊敬している人」という作文を書かせました。その作文の60%は尊敬する人に親を挙げ、35%は教師を挙げていました?!赣Hを尊敬しています」と書く人が多いのは日本の高校生でも同じです。ところが、中國の生徒の作文のほとんどは「親は私を生んでくれた人です」「苦労して私を育ててくれました」「だから尊敬しています」と書いてあるだけなのです。このような作文は、日本ではまったく評(píng)価されません。たいていの親は子供を育てるのに苦労しているのです。だから、子供が、自分を育ててくれたことで親に感謝や尊敬の気持ちを持つことは自然なことです。そして、それは全人類に共通するごく一般的なことであって、「私」が親を尊敬している特別な理由とは言えません。この作文は「私が尊敬する人」という題名ですから、作文の內(nèi)容も「私」の実體験を書かなければ評(píng)価されないのです。日本人の生徒がこのような作文を書く時(shí)には、「私が」親を尊敬する理由を「具體的に」書きます。つまり、「このようなことがあった。その時(shí)親はこのようなことをした。それから私は親を尊敬するようになった」という具體的な事例を書かなければ、日本ではいい作文とは認(rèn)められません。